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四国昔話八十八ヶ所巡り
浦島太郎  香川県三豊市・詫間町 荘内半島

昔むかし、現在の仁尾町家の浦に生まれた興作が生里(なまり)へ来て、仁老浜のおしもさんという美しい娘を嫁にもらったそうじゃ。
二人の間に子どもが生まれ、その子は浦島太郎とよばれておった。

浦島太郎は父とともに釣りを生業としておったそうな。
後に、箱浦に移り住み、箱崎のどん亀石で魚釣りの毎日を送っておった。

そんなある日、浦島太郎が父の生家へ行く途中、鴨の越の浜辺で子供達が亀を捕まえていじめておった。
浦島太郎は亀を助けると、自分の持っていたキビ酒をのませて海に逃がしてやったそうじゃ。

それから何日か経った初夏の新緑の頃、いつものように浦島太郎は、箱崎で釣りをしておったのじゃが、どうしたものかその日は一匹も釣れず夕暮れとなってしもうた。
帰り仕度しておると、すぐ目の前に一匹の大亀が現れて
「私はあなたに助けられた亀です。あの時のお礼に竜宮へお連れいたしましょう。私の背中にお乗り下さい。」と言う。
浦島太郎は亀の背中に乗り竜宮へ行ったそうじゃ。

竜宮城は見たこともない美しい場所じゃったそうな。
浦島太郎は、乙姫様の舞踊りなどに月日のたつのも忘れて楽しく過ごしたそうじゃ。

そのうち故郷が恋しくなった浦島太郎は、名残惜しみつつ乙姫様に送られて帰り、積の浜辺へたどり着き、そこで別れたそうじゃ。
たくさんのお土産の中に玉手箱もあった。
「困ったときに、その玉手箱を開けてください。けれどもそれ以外は絶対にあけないで下さいね。」
そのとき、乙姫の腕輪が落ちたので、この浜辺を金輪の鼻と呼んでおる。

そして乙姫は一時粟島の姫路に滞在された。
いつまでここに居たかはっきりしないが故郷に帰った太郎はしばらくは、海を渡って会いに行っていたという。

浦島太郎が帰ってみると、もと居た家もなく、行き会う人は知らない人ばかりじゃったそうな。
昔の若さのままの浦島太郎は誰一人知らぬ人々の中で、昔のように釣りをして暮らしておったそうな。

釣り糸を持って毎日通うその道に、糸が越したので「糸の越」と呼ばれる土地が現在もあり、浦島太郎が釣りをしておった土地は、浦島太郎が若いままで老いることが無かったので、「不老の浜」の名が残っておる。

3年の月日が瞬く間に過ぎたある日、大亀の死骸が粟島にあがったことを聞いた浦島太郎は粟島へ行ってみたそうな。
すると、その死骸は、自分を乗せてくれた亀じゃったそうな。
浦島太郎はたいそう驚き、悲しみ、その海辺に骨を埋め祠を建ててまつり、これを亀戎社とよんだ。
その分骨を持って帰って、現在の箱小学校を登った場所にある「大空」という山の山頂にまつったことから、ここを竜宮さんと呼んでおる。

太郎は毎日この大空に参り、村の娘子供を集めて竜宮でのおもしろい話や竜宮踊りを教えたそうじゃ。
その踊りがいまも箱浦に残されており、旧暦6月23日にはこの大空へ各家から割り木を持って集まり、薪火を囲んで竜宮踊りをしたそうじゃ。
6月23日は亀の命日と言われておるが、雨乞いの意味もあったといわれておる。
現在の箱浦の新霊踊りはそうした名残と見られる。

さて浦島太郎は、それからしばらくして、両親の墓(箱の竹生島)の前で玉手箱を開けたそうな。
すると白煙が立ちのぼりまたたくまに浦島太郎は白髪の老翁となり、その煙が山にかかって紫の雲となったのでこの山を紫雲出山とよんでおる。

年老いた浦島太郎は、母の里で昔の身寄りを頼りに暮らしておったそうな。
この里を仁義の深い老人の住んだ里として仁老浜とよぶようになった。

やがて、浦島太郎は余命なきを知り、両親の墓の前で往生し、その霊が天に昇り紫雲出山にかかるので昇天と呼ばれているところがあり、竜神として祀られておる。
終焉の地竹生島の墓碑には「諸大竜神」と記名されておる。



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