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【空海とうどん特別企画のお知らせ】大宰府の空海
〜讃岐うどんを伝えたのは、はたして空海か?〜
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【第1回】うどんの伝来者は?

「讃岐うどんの伝来者は?」と質問すると、ここ讃岐では多くの人が「空海」と答えるだろう。
私も もちろんその中の一人である。

しかし、うどんの伝来を考えるに当たっては、日本うどん学会で発表された山野明男氏(愛知学院大学教授・文学博士)の論文にもあるように、「うどんという現在の形でみるのか?」「麺の加工方法でみるのか?」「うどんの語源となった【索餅】【混沌】などからみるのか?」等によってその考え方は違ってくる。

麺の伝来については8世紀頃の奈良時代に中国から渡来したといわれ、当時の古文書に「索餅(さくべい)」「麦縄」などの麺を表す文字もみられる。
つまり、麺を初めて日本に持ち込んだのは、残念ながら空海ではない。

では、製粉技術からみた場合はどうだろう?


「饂飩蕎麦発祥の地」博多説

製粉技術からみたうどんの考察については、日本うどん学会の山野明男氏の論文をそのまま引用させて頂く。

博多の承天寺には「饂飩蕎麦発祥の地」の碑がある。
(中略)
博多説によると、鎌倉時代、九州の博多において聖一国師が中国の宋から持ち帰った水力による製粉機械の図面「水磨の図」があり、粉食文化が開花したことは確かであろう。文化のルーツから見ても、鎌倉時代において中国に近く貿易港の役割を果たした博多の町は、文献も残っておりこのような説が出されるのも当を得ている。
よって、機械により製粉され大衆に受け入れられたうどんが鎌倉時代に商都博多にもたらされたことは歴史的事実として認めたい。
しかし、うどんが大衆化・一般化されたのと、発祥の地は異なると思われる。
確かに、機械がもたらされ新しい製粉技術は伝わったが、石臼で粉にする技術はそれ以前にもあり、うどんが存在したと考えられるからである。
(日本うどん学会 日本うどん学会誌第2号掲載 山野明男「うどん伝来の一考察」より)


うどんの語源

次に、「うどんの語源」からうどんの伝来を見てみよう。
こちらも、日本うどん学会の山野明男氏の論文を引用させて頂く。

うどんは、空海が唐から持ち帰った「唐菓子」が源流といわれています。
「唐菓子」は、小麦粉にアンコを入れて煮たもので「混沌(こんとん)」といわれていました。
それが「検飩(けんとん)」となり、煮て熱いうちに食べるものだから「温飩(おんとん)」となり、それが転じて「饂飩(うんとん)」となり現在の「うどん」になったと言われています。(山野明男「うどん伝来の一考察」より)

この論文の中で、うどんの語源と讃岐に現在も伝わる正月の「餡入り雑煮」の関係から、山野氏は、小麦粉にアンコを入れて煮た「混沌」が現在の「讃岐うどん」と「餡入り雑煮」に派生していったのではないか というたいへん興味深い説を提唱している。
ご興味がある方は、日本うどん学会に問合せてぜひ一度読んで頂きたい。


「切り麺」と「手延べ」

麺そのものが日本に伝わったのは8世紀の奈良時代。
奈良時代の文献にもある「麦縄」は、小麦粉のかたまりを引っ張って伸ばしてつくる麺で、そうめんの原型となったとされていることから、当時の麺製法は手延べが主流で「切り麺」はまだ伝わっていなかった。

空海が滞在した唐の都長安の周辺華北地方は乾燥が強く、広大な小麦耕作地帯であった。
空海の誕生の地である讃岐平野も雨が少なく比較的乾燥の地であったため、乾燥に強い麦類の栽培は奨励されたであろうし、実際に小麦が栽培されていたという説もある。
また、空海が密教を学んだ青龍寺をはじめとする寺々には、麺料理専門の僧がいたといわれており、その技術を空海が生誕地である讃岐に伝えたとしても不思議ではない。

その技術の中でも「切り麺」は、唐の時代に新しく開発された麺製法であり、長安に留学した空海は、この「切り麺」という新技術に出会い、それを持ち帰って、讃岐の国に何らかの影響を与えた可能性はかなり高いといえるだろう。

空海が持ち帰ったうどんの製法を、空海の甥で十大弟子のひとりである智泉が習い、故郷讃岐の両親に振舞ったのが讃岐うどんの始まりとする言い伝えもある。
また、空海が陣頭指揮を執った故郷讃岐の満濃池治水工事の際、人夫を集めるためにうどんを振舞ったのがうどん普及の始まりだったとの言い伝えもある。

讃岐のうどん屋に関して、現存する最も古い資料は金刀比羅宮(香川県琴平町)表書院に伝わる「金毘羅祭礼図」と呼ばれる江戸元禄時代の絵屏風とされる。
その絵の中に数件のうどん屋が描かれている。

元禄時代といえば江戸、京、大坂にうどん屋が出現し始めた頃で、他の地域に先駆けてすでに讃岐の地ににうどん文化が花開いていたことがうかがえる。

また、蕎麦が現在の「切り蕎麦」の形になったのも江戸時代といわれており、参勤交代とともに西からもたらされた「切り麺」のうどんをまねて、新しい物好きの江戸っ子が「切り蕎麦」を始めたという説もある。

秋田県の有名な稲庭うどんが、「切り麺」ではなく、「手延べ」であることを考えると讃岐うどんの製法である「切り麺」と空海の結びつきが感じられておもしろい。


いずれにせよ、今のところは、うどん伝播を示す確かな文献は見つかっていない。
いつの日か、確かな文献が見つかる日まで、井戸端会議のネタとして「空海とうどん」を楽しんでみてはいかがでしょう?

空海とうどんに関する面白い話がありましたら、ぜひメール下さいね。

【第2回】2006年、讃岐における「空海とうどん」の動向報告



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