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空海、生を終える

承和二年三月丙寅、大僧都伝燈大法師位空海、紀伊国ノ禅居ニ終ル

「続日本後紀」によれば、835年3月21日に、空海は紀州高野山において生を終えました。

空海の最期については、諸説あるようです。
「空海が死んだ」のではなく「入定」したのだという事実もしくは思想は、現在まで伝えられています。
つまり、現在も高野山奥の院廟所の下の石室で空海は定にあることを続けているという説です。

このサイトでは説の正誤を判断することを目的としていませんので、判断は皆様一人一人にお任せするとして、空海が1,200年経った今もなお、人々の心の中に生きていることは疑いようのない事実といえるでしょう。

また高野山では、維那(イナ)とよばれる職があります。
都維那(ツイナ)ともいわれる維那(イナ)は、サンスクリット語の漢訳で、僧堂の庶務一般の総裁職であるそうですが、高野山では奥の院の最高管理者にあたるそうです。
この維那にあたる人だけが、今も空海が地上にあったときと同じように衣食の世話を通じてお仕えしているそうです。

代々の維那で、廟所の中にいる空海の状況を他言した人は一人もおらず、廟所の中のことは千年以上に亘って想像の域をでることがない、というのが現状です。



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