昔、38番札所金剛福寺に和尚が小僧さんと二人で住んでおりました。
そこへ、一人の旅の僧がやって来ましたが、昔のことで、人里離れた寺に豊富な食べ物がある筈はありません。
しかし、小僧さんは食事のたびに、乏しい自分の食事を旅の僧に分け与えて食べさせていました。
それを見た和尚は
「一度や二度ならともかく、乏しい食物を毎度、お前のように分け与えていたら、私達二人の食事にも困ることになる」
と、小僧さんを叱るのでした。
けれども小僧さんは、その後も「今度だけだよ」と言いながら旅の僧に食物を分け与えていました。
すると、ある日のこと、旅の僧は
「これほどの情けは忘れがたい。さらば、わが住処を見せてあげよう」
と、小僧さんを誘って海のほうへ出て行きました。
不思議に思った和尚が二人の後をつけていくと、二人は岬端に到り、一葉の舟に棹さして南へ向かって大海へと出て行くではありませんか。
和尚は泣く泣く
「我を捨てていずくへ行くぞ」
と叫ぶと、
法師から
「補陀洛世界へまかりぬ」
と、いう返答がかえってきた。
そして、見ると二人の法師は観音様になって、船の舳先に立っていました。
これを見た和尚は足摺りしながら、悲しみ泣き叫んだ。
それからこの岬を足摺岬と呼ぶようになったと伝えられています。
<補陀洛渡海「とわずがたり」後深草院二条(後深草天皇の女御)著>
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