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空海と東寺

空海は高野山建立に着手してはいたものの、その造営はなかなか進んでいませんでした。
現実、空海が生きているうちに完成することはなく、後の中世末期における高野山の最盛期の景観(空海の描いた構想)と比べると当時の状況はほとんど無に等しいものでした。
高野山は空海個人の私寺であるため、その造営費は一銭も国から出ていなかったのです。
その造営には民衆の募財に頼るほかなかったようです。
空海の在世中に高野山の造営を援助したのは都の権勢家ではなく、高野山近郊に住む紀州の無名豪族たちでした。

空海が住んでいる高雄山寺の経営もしつつ、東大寺の別当も兼ね、超人的なスケジュールをこなす超多忙な状況で、空海が私寺である高野山造営に苦心している時に、「官寺として都の東寺を密教道場にしないか」という申し出があったようです。

今ではあまりにも有名な東寺ではありますが、平安京の造営とともにつくられたとされる東寺の創建の由来については確かな資料が残されていないそうです。
その当時の「寺」の概念は、現在の「寺」の概念とは違い、「役所の建物」つまり、外国の使節を接待する役所である玄蕃寮に近かったといわれています。

高野山に先駆け、官寺である東寺において密教による法則に法った建物が日本で初めて出現することになりました。



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