ウェブサイト空海〜


空海年表
空海とうどん
四国霊場八十八ヶ所
四国八十八ヶ所人巡り
四国昔話八十八ヶ所巡り
太三郎狸
中国福建省開元寺御守
お接待(プレゼント)
お便り募集


ウェブサイト空海コンセプト

最澄との断交

空海は、最澄から泰範に送られた手紙の代筆をします。

今までに何度か掲載しましたが、空海、最澄、泰範の関係を簡単にまとめてみます。

最澄が自分の後継者と考えていた弟子泰範でしたが、泰範はそれを断り、自坊へ戻りました。
その後、最澄の誘いで、空海のもとで灌頂を受けた泰範は自発的に高雄山寺の空海のもとに留まります。
その泰範に対して、最澄は、比叡山に戻ってくるよう何度も手紙を送っていました。
この泰範にあてた手紙はラブレターではないかと言われるほど熱烈なものでした。
その間、最澄は空海から多くの経典を借用していましたが、「理趣経」の借用をめぐってトラブルが発生し、関係が悪化します。
そんな中で、弘仁7年5月1日付の最澄から泰範宛の手紙の返信を、空海が代筆したのです。

泰範が最澄から送られてきた手紙を毎回空海に報告していたのか、空海が全てを強制的にチェックしていたのか、泰範が空海に代筆を頼んだのか、空海が自発的に代筆したのか、代筆するに至った経緯は今となってはよくわかりません。

空海が代筆した文章は「性霊集」におさめられています。
最澄から送られてきた手紙の中で「法華一乗(天台宗体系)と真言一乗(真言体系)とは何の優劣があろうか」と言ったことに対しての返答等は、文体や表現は柔らかではあるものの、逆に受ける印象はかなりきついものになっています。
この文章の激烈さには、後の空海の法系に属する真言家たちでも、深く触れることを避けたとさえ言われています。

そして、この手紙により最澄と泰範のつながりは切れ、最澄と空海の交流もいっさい無くなりました。



Copyright (C) 2006 空海 All Rights Reserved