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乙訓寺別当に任ぜられる

太政官の官符が下り、空海は旧都である長岡京(現在の京都府長岡京市今里)の乙訓寺の別当となり、高雄山寺を下りました。

乙訓寺は桓武天皇の弟である早良親王が無実の罪で捕らえられ幽閉された寺でした。その後淡路島へ流される途中で早良親王は亡くなり、桓武天皇はその怨霊の祟りに悩まされたとされている曰くつきの場所でした。

そのため、空海の乙訓寺別当の起用には早良親王の怨念を鎮めるねらいがあっとといわれています。

また、官符には「空海が住んでいる高雄山寺が不便であるから、乙訓寺へ行くように」と書かれていたことから、嵯峨天皇が空海と交流するのに不便なので乙訓寺へ移動させたのではないかともいわれています。

空海が乙訓寺に入った頃は、往年の乙訓寺と比べてかなり廃れていたようで、奈良の僧綱所長老である永忠にぜひ修理をして欲しいと依頼した手紙が現在でも残っているようです。

また、境内に実った柑子千個を天皇に贈るなど両者の親密な関係を示す事柄もかなりあります。



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