むかし、瀬戸内海の直島は賀茂女島とか長島と呼ばれておった。
崇徳上皇が讃岐の国へ流される途中、しばらくこの直島に逗留なされることになった。
島の人々は、真心をこめて崇徳上皇を迎えたそうじゃ。
崇徳上皇は泊が浦に仮りのご殿を建てると、京からの長旅の疲れを癒したそうな。
ある晴れた日、崇徳上皇は島の浜辺を散策しておられた。
白い砂浜には貝がたくさん打ち寄せられておった。
その素朴で美しい彩りの貝をたいそう気に入られた崇徳上皇が、おみあしを濡らしながら貝を拾っておられると、どこからか琴の音が聞こえてきた。
崇徳上皇が琴の調べにつられて行くと、なんと!京の都にいるはずの姫君が色あでやかな衣装で琴を弾いておった。
姫君はなつかしさとお目にかかれた喜びとで、涙声になりながら「さきほど島に着いたばかりでございます。」と言うと、しばらくの間、崇徳上皇様をおなくさめするために心を込めて琴を弾いたのじゃった。
姫君が琴を弾いた浜は琴弾の浜、姫がお住みになられた山は姫泊山と今も呼ばれておる。
しばらくの後、崇徳上皇は直島をあとにして、讃岐の国へと船で流されていった。
名残を惜しむ島の人々に、崇徳上皇は、まっすぐで純朴な人たちが住む島だからと「直島」という名を付けてくださった。
島の人たちもとても喜んで、それからは自分達の島のことを「直島」と呼ぶようになったそうじゃ。
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