ウェブサイト空海〜


空海年表
空海とうどん
四国八十八ヶ所人巡り
四国昔話八十八ヶ所巡り
中国福建省開元寺御守
お接待(プレゼント)
お便り募集


ウェブサイト空海コンセプト

間一髪セーフの遣唐使船メンバー入り

日本は、推古8年(600)に遣隋使を派遣して以来、隋へ4度、唐へ15度(航海の都合で中止2回を含む)送っていました。
遣唐使は1艘に約100人乗り込み、4艘で編成されていました。
空海の使節団は、前回の派遣から約24、5年ぶりに編成された第16次遣唐使にあたります。

実は、この第16次遣唐使は延暦22年の夏に難波を出航したのですが、出航6日目に嵐に遭って引き返し、翌年再渡航となっていたのです。

もしこの遣唐使船が嵐に遭って再渡航になっていなければ、延暦22年の段階では、空海は出家得度もしておらず、遣唐使のメンバーに選ばれる可能性はほとんどなかったでしょう。
しかも、次回の遣唐使派遣が承和5(838)年であったことを考えれば、空海はまさに千載一遇のチャンスをつかんだといえます。

空海は、この再渡航が決定すると、何とかこれに乗ろうと画策し、急ぎ東大寺で得度して正式な僧空海となり、通常数年は待たされる留学の許可をすぐさま得ています。

このようにごく短期間で遣唐使のメンバーになれたのは、たまたま欠員が出たことだけでなく、空海の周りの有力な支援者(伊予親王の侍講を努めたおじの阿刀大足をはじめとする佐伯氏族や高僧勤操ら)の骨折りがあったことが大きかったのではないかと考えられていますが、空海自身に一生涯を通じてふりそそいでいる強烈な運の良さを感じずにはいられません。

こうして延暦23年5月12日に、空海を乗せた遣唐使船は難波の港を出航しました。



Copyright (C) 2006 空海 All Rights Reserved