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空海と実慧

勅許をえた空海は、高野山の検分や外部との折衝のため、泰範と実慧を高野山へ派遣しました。

泰範を派遣したのは、最澄との一件で周りの注視から遠ざけるための配慮ともいわれています。

実慧は、
空海と同郷の讃岐の出身で、佐伯氏の出であるといわれています。
実慧は空海より12歳若く、空海が渡唐する以前から面識があり、空海帰国後、空海が槇尾山寺に住している時から身辺に仕えていたようで、空海最初の弟子といわれています。
「御遺告」によれば、空海死後は「諸弟子の依るべき師長者」であると書かれています。
事実、実慧は空海の後継者の筆頭となり、空海の最期もみとっています。
空海が没したことを、苦心の末、長安の青竜寺に知らせたのも実慧とされています。

ともかく、泰範と実慧の二人が中心となり、高野山の地を拓き、まず二つの草庵(空海と弟子達の僧院)を建てました。



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