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高野山

空海は、修禅の道場を建立するため、高野山を賜るよう嵯峨天皇に申し出ました。

空海の請願の審議に当たった太政官の首班は右大臣藤原園人でしたが、10年前に空海と同じ船で入唐した藤原葛野麻呂は中納言であり、家運隆盛の相談にのった藤原冬嗣は参議の地位にありました。
空海の願い出は認められ、金剛峰寺高野山開創の第一歩が踏み出されました。

空海が高野山を発見するにいたる伝説も数多くあります。

「金剛峰寺建立修行縁起」には、空海が弘仁7年の夏ごろ、大和国の宇智郡を通っていた時、顔が赤く八尺の大男で、青い着物を着て大きな弓を持ち、黒と白の二頭の犬を連れたある猟師に出会い、その男は自ら「南山の犬飼」と称して、「山上が平原になった霊瑞が多い山がある」と言って空海に高野山へ行くようにいった、とあります。

「御遺告」によれば、その後の話があり、空海は、翌日、山に登ったところ、このあたりの地主神である丹生都比売命が、土地の司祭者に憑いて、「あなたをずっと待っていた」と言い、この山を空海に与えると神託したといわれています。



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