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空海 恵果の碑文を撰す

「瓶から別の瓶へ水を全部移しきったように、これで、全て伝えた」
不空三蔵の密教の正統をただひとり伝承している恵果から、空海は密教の両系(大日経系と金剛頂経系)を譲り受けた唯ひとりの相伝者となりました。

この異常ともいえる恵果の空海に対する優遇(?)に対しては、やはり門人からの不平不満もあったようです。

密教僧として重い地位にあった玉堂寺の珍賀は、門人の不満を代表して「恵果和尚よ、空海はあなたの弟子ではない。まず、弟子として教えなさい。弟子として教えもせずに密教の正嫡とするのはおかしいでしょう」と苦情を言ったそうです。

ところが、その夜の珍賀の夢に四天王が現れ、珍賀を殴ったり蹴ったりしてその足の下に踏み下したこともあり、翌朝には人が変わったように自分の非を空海に詫び、門人達に今後は不平を言わないよう説いてまわったそうです。

「御請来目録」によれば、恵果は空海に「自分の寿命も尽きようとしている。汝に伝法し心残りはない。早く帰国して、密教を広めよ」と言ったとあります。

空海に自分の全てを与えてしまった恵果は、伝法の4ヵ月後に抜け殻になったように亡くなりました。

空海は、憲宗の命により、恵果の弟子を代表して碑文を起草しました。
碑文の全文は空海の韓詩文集である「遍照発揮性霊集」に収録されています。



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