昔むかし、菊間の沖で漁師が一人で釣りをしておった。
漁師がふと顔を上げると、北の方から一艘の小船が近づいてきた。
漁師が小船に近づいて中を覗いてみると、立派な身なりの女が赤子を抱いて倒れておった。
漁師が声をかけると、気がついた女は「どうかお助け下さい。お礼はいくらでも差し上げます。」と頼むのじゃった。
女は京の都の由緒ある家の奥方で、訳あって夫の怒りをかい、こうして流されてきたという。
よく見ると、小船の中には金銀財宝が木箱に入れられて、積まれておった。
それを見た漁師は欲に目がくらんで、女を助けるふりをして宝だけを自分の船に移すと、一人さっさと帰っていったそうな。
かわいそうに、女と赤子が乗った船は、潮に流されていった。
数日後、女が乗った船は北条沖の安居島に流れ着いた。
女も赤子もやせこけて、今にも死にそうな状態じゃった。
船を見つけた親切な島の人たちは、ふたりを手厚く介抱したが、衰弱がひどく、ふたりともに息をひきとってしもうた。
島の人たちはたいそう哀れに思って、島の氏神様のそばにねんごろに葬ったそうじゃ。
ところが、この母子が死んでからというもの、夕暮れになると安居島の方から菊間の海岸へ 赤い火がとんでくるようになった。
人々はあの哀れな母と子の魂に違いないと言って、その火を「愛憎の火」と呼んで、たいそう恐れられるようになったそうな。
宝を奪った漁師は、その後長者となり、数年間は贅沢な暮らしをしておったそうじゃが、そのうち家族が病気になったり、火事がおきたりと次々に災難が降りかかり、ついには気が狂ってのたれ死んだそうじゃ。
ほんに、悪いことはできんもんよのう。
現在も、菊間の遍照院の裏山には、あわれな母子を祀った姫坂神社が残っておる。
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